「お父様が聞かせてくれた話の中で一番記憶に残るのはお互いに深く懐かしみながらも、その心を思う存分表現できなかった父子の姿です。」キム館長が記憶して伝え聞いた父子の話を貫く感情は「懐かしさ」だった。 彼は「幼い頃、父親は日帝の監視を避けて祖父の手紙が来れば、もしかしたら切手に父親の跡が残っているかと思い、匂いを嗅いで慎重に舐めてみたりしながら懐かしさを慰めたという」と回想した。
キム·グ先生が息子を思う心は「白凡日誌」にそのまま残っている。 キム館長は「おじいさんは独立運動をしながらいつ命を失うか分からない状況で、遠く離れていた二人の息子に自身の人生を伝えるために文を書き始めた」とし、「白凡日誌の上巻を遺書の代わりに書いたと明らかにしたことも同じ気持ちだと考える」と話した。 続けて「それで私にとってペク·ボムイルはある独立運動家の自叙伝であると同時に父親が子供たちに残した長い手紙のように感じられる」と話した。
しかし、金九先生にとって、家族より先んじたのは国だった。 金九先生は、「国があってこそ、家族も国民も守ることができる」という考えから、国を取り戻すことを最優先に据えたと、金館長は説明した。 彼は「光復になった時も祖父は息子をそばに置くより飛行訓練を継続するようにした」として「新しい国には専門性を備えた人材が必要だと考えたため」と話した。
ただしキム館長は時代が変わっただけに国家と社会のための「献身」の方式も変わりうると見た。 キム·グ先生が暮らしていた時代の献身が独立のために自身の人生と家族との時間まで後回しにすることだったとすれば、今日では各自が享受する自由と能力を自身だけのために使わず他人と社会のために分かち合うこともその精神を継続する道でありうるということだ。 キム·グ先生が「私の願い」で話した自由もこのようなキム館長の考えと接している。 金九先生は「公園の花を折る自由ではなく、公園に花を植える自由」を強調した。 キム館長は「自分の自由を自分だけのために使うのではなく、良いことを隣人と分かち合い、他の人に幸せを与えるのに使えというお話」と説明した。
金館長は、「個人主義と利己主義が強まる今日ほど、白凡精神を見直す必要がある」と強調した。 彼は「『私たちの社会が次第に個人主義に進むので、一次元高く、もう少し広く考えなければならないのではないか』という言葉が私の願いに込められている」として「他人を傷つけながら享受する自由は自由ではない」と話した。 このように「責任に基づいた」自由が集まって作る社会がペク·ボムが夢見た「美しい国」だった。 キム·グ先生は「私の願い」で大韓民国が世界で最も美しい国になることを願うとし「ひたすら欲しいのは高い文化の力」と話した。 彼は、「文化の力が自分を幸せにするだけでなく、他の人にも幸せを与えることができるからだ」と書いた。
キム館長は今日の大韓民国がペク·ボムが夢見た「美しい国」に相当部分近づいたと評価した。 彼は「今日、大韓民国が文化の力で世界舞台の中心に立った姿をおじいさんは誇りに思っただろう」とし「反面、依然として続いている分断と私たちの社会の葛藤は非常に残念に思っただろう」と話した。 続けて「文化の力を世界人の幸福と平和に寄与することに使い、私たちの社会の葛藤を包容と対話で解決していく時、おじいさんが望んだ『美しい国』にさらに近づくことができる」と強調した。
[キム·サンジュン記者]